数奇者 福森雅武 が 銀座にやって来た
三重県伊賀丸柱は 近江と伊賀の境 人里離れた四季の自然がのこる地、大昔 琵琶湖の湖底だった事で 推積層の地層から 火に強い土が採れ 古くは奈良時代からやきものの里であったと聞く。
この地で江戸時代から続く土楽窯 七代目の福森雅武、眼光鋭く その視線は ものごとの本質を 一瞬で捕らえる力があるように思えたが 少年時代 家に訪れた柳宗悦らの 文化人の話を聞きながら 育ったせいだろう。
16歳で父を亡くし 伊賀の陶工の家業を継ぐために 様々な苦労はあったはず。
師を持たず ひたすら土を作り 目を瞑っていても轆轤が轢ける玄人になるまで凄い努力をしたに違いない。
また京都の禅寺で坐禅を組み 千日回峰行 光永澄道 大阿闍梨の哲学や思想を学んだと言う。
人は彼の事を「土楽さん」と呼ぶ。
その土楽さんは 人をもてなす天才で、野山の花を生け 旬の料理を作り 白洲次郎・正子夫妻や 黒田辰秋・乾吉父子をはじめ大勢の文化人達の目と舌を楽しませて生きて来た。
夜遅くまで 酒を酌み交わしながら 彼らとどんな話をしていたのだろう。
今、何に出会うか? 今 誰に会うか? 今 何が美しいか? 美味しいか? 楽しいか?
土楽さんは 今を 精一杯 人やモノと一緒に生きて来た。
数年前、土楽窯を娘の道歩さんに譲り 土楽さんは福森雅武に戻った。
肩の荷を下ろした彼の目には 見慣れた丸柱の景色までもが 変わって見えるのだろう。
朝早く 散歩に行くのが日課になっている。
自由になった彼は 6、7年前から年に2ヶ月 ロンドン郊外で かの地の土でやきものを作っている。
それが実におもしろい。
この度 一穂堂には 伊賀の土と イギリスの土のやきものが一緒に並ぶ。
スコッチウイスキーを一緒に呑んだ白洲次郎を想い、今 福森雅武がやきものと書と絵を携えて 銀座へやって来た。
青野恵子