瞬間と余白
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幼少期よりものつくりが好きだった中野大輔は、京都の美術高校の図案科に進学。高校生の時に、日本画に出会う。19 歳で描いた駱駝の絵が、団体展に初出展される。その後、15 年ほどは様々な動物をモチーフに大作を描き出している。現在では、動物に限らず、植物などを日本画の技法を用いて描いている。
瞬間と余白
今、まさに鶴が翔び立とうとしている。雪の舞う白銀の世界の中で、群生を成した鶴の呼気が北国の寒さとの関係を報せる。中野大輔の描く動物は、自然の巡りの中で血を通わせる個として、命が宿る。人間の意図しないところで営まれている生命の美しさが、中野大輔の目を通して画面に表れる。人、自然、動物。私たちを囲む巡りが、中野の美学のエッセンスにより新しい原風景となって現前する。
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中野大輔が描く作品の美は、大きく三つのエッセンスに分類することができる。一つには、動物や植物そのものの美しさ。自然のありのままが窺える瞬間。その美しさを画面上に形成するのが、日本画の技法や捉え方のテクニック。そして、その二つの根幹を支え、画面に浮き立つ際の基盤になるのが、人生で積み重ねてきたものと原風
景である。
自然の中で個として血の通う動物が、摂理の中で自分の役割を全うして生きている。四季の巡りの中で、草木は大地に根をはやし、動物たちは瞬間的な生を享受している。動物や植物はそれぞれの時間の中で、その生命を謳歌しているのである。
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四季の流れは、我々の遺伝子にも宿っている。見たことのない景色に、郷愁を感じたことはないだろうか。中野の作品に描かれる動植物たち。実際に見たことのない景色であっても、日本に生まれ、住むものであれば懐かしさを感じてしまう。私たちの生きている環境。もしくは、生まれる以前から、日本に生まれた私たちの血を流れる記憶を呼び起こすような感動が画面から共有される。
「感動は、二つあると思います。新鮮な感動と、懐かしさからくる感動。」と中野大輔は語る。中野の琴線に触れた美しさは、おそらく多くの人の心の琴線に宿るものだ。そのために、彼の作品を見た時、懐かしい感動を覚える。しかし、彼の作品からは懐かしさだけではなく、新鮮さから得られる感動もある。

瞬間を切り取られた鶴たち。その配置や余白の絵画性は、中野大輔のテクニックとオリジナリティからくるものだ。彼が入学した京都の美術高校の図案科。その入学の理由は自由さと語った。多種多様な制作の数々。自由な環境の中で学んだデザイン。そして、18 歳の頃から描き続けてきた日本画。余白と配置の足し算と引き算という感性の計算が、中野大輔が描く作品に単なる原風景で終わらせない新しい感動を生む。
動植物のありのままの姿を描き、配置に感性的な意図を加えることで懐かしさと新鮮さの感動を与える中野大輔の作品。箔を用い現象的な時間を廃することで、対象の固有の時間を描き出す。背景の余白により、モチーフと現象の距離が少し置かれる。絵画だから失われてしまうもの、 絵画だから生まれることのバランスを常に取りながら表現された作品は、これからも人々の心を掴み続けるだろう。
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